おがえもん廃線研究所

東武鉄道熊谷線
現地調査 Part2
上熊谷〜大幡駅〜妻沼駅

敷地は未だに
  東武の敷地?

 石原公園の脇の廃線跡地と思われる所には駐車場があります。看板には「東武熊谷石原町月極有料駐車場」の文字が、管理も東武ランドシステムという子会社が行っています。

 遊歩道の敷地境には今でも東武の文字が記される敷地区域標が残されています。真相については後に記載してあります。

鉄道用の柵が残っている

 熊谷線は高崎線をオーバークロスしていました。その為、高崎線を挟んだ両岸は築堤になっていました。今はその築堤も壊されて半分くらいの高さになっています。築堤の下を流れる川に架けられたコンクリートのトンネルが残っています。高崎線の上り線側(妻沼側)には「クマガヤ」の文字が木で記されているので車窓からも分かりますよ。

熊谷側から見る

妻沼側から見る

現役当時の高崎線を越える熊谷線

 高崎線を越えてからもかめの道は続きます。いたることころにかめのモニュメントがありました。  国道17号線に面する所には熊谷線の車両を描いたかめの道のモニュメントがあります。車両乗り入れを防止する車止めも兼ねています。

 国道には踏切があったものと思われます。そのかたわらには枕木を使用した柵が残っていました。

いたるところに亀さんが

 熊谷線の紹介する案内板が見つかりました。残念ながら落書きがされており一部読めない状態です。ひどいことをするものです。

案内板の内容(一部判別不能)
〔かめのみちの由来〕
 「かめのみち」の由来は、東武鉄道熊谷線が<かめ号>の名称で親しまれていたことから<かめ>のイメージである「ゆっくり歩く、長生き、を取り入れ、市民の皆さんがゆっくり歩いて楽しく●●●●“みち”づくりをすすめるため名付けられました。

廃線跡で電話をする人?誰?

かめの道はここで終わり

廃線跡は
  東武鉄道が所有

 かめのみち遊歩道が終わるとその先は道路への転用工事中でした。道路には「東武熊谷線跡地緑道整備事業」と書いてある案内板を発見しました。そこには驚きの事実が記載されていました。
 熊谷線の廃線跡は未だに東武鉄道が所有し続けているのです。復活でも考えているのでしょうか?

案内板に記されている内容
 この緑道は熊谷市が東武鉄道(株)から借地して築造しています。このため緑道を使って開発・建築や出入口の設置は出来ませんのでお知らせいたします。 熊谷市

大幡駅

 大幡駅は交換や入れ換え等も行っていたため未だに広い構内が残っています。道路転用地以外は畑になっています。新しい東武の敷地区域標も立っていました。

大幡駅のホームはこの奥にあった。

真新しい敷地区域票

 大幡駅を過ぎると国道17号線バイパスをくぐります。その辺りから道路の工事は中断し、整地だけの状態になります。本来なら数年前に工事が完了している予定なのですが、未だに開通しないとは・・・。地図には既に通行できる状態で記されているのですが。何故でしょう?予算がつかないとか、復活の話が出ているからとか・・・。真相は不明です。

 唯一線路を撤去しただけの状態の区間が100mほど残されている。

 廃線跡は再び道路として復活しました。しかし、先ほどの看板に書かれていたとおり、廃線跡の道には建物や駐車場の出入口がほとんどないのです。

 妻沼町内に入るとまもなく終点の妻沼です。

 まさかここに鉄道が走っていたとは想像がつかない風景ですね。

終点・妻沼駅

 熊谷線の終点妻沼駅跡です。駅のホームの端にあったソテツの木がそのまま残されています。その脇には鉄道の安全運行を祈るみどり十字のモニュメントが何故か残されていました。

ホームがあったところは一段高く盛り上がった状態で残されています。駅舎があった場所は空き地になっています。

 妻沼駅が現役だった頃は駅周辺は住宅やお店もあまりありませんでした。しかし、現在はお店も増えて廃線当時かるすると開けたようです。

 その他、敷地区域標が山積みにされていたり、枕木を使った柵が残っていたり何となく面影があります。

 妻沼駅には杉戸機関区の妻沼派出があり機関庫などが当時はあったそうです。

妻沼駅から先へと続くはずだった・・・。

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