おがえもん廃線研究所

東武鉄道熊谷線
現地調査 Part3
妻沼駅〜西小泉駅

保存されるキハ200系

 妻沼駅近くにある妻沼町立展示館に熊谷線で使用されていたキハ2000系が静態展示されています。以前は野ざらしの展示だったのですが展示館開設に際し、屋根付きのホームが作られ大事に保存されています。全部で3両あった車両のうちのキハ2002号機がここに保存されています。

 車内にも入ることが出来ます。ペンキも塗り直されており非常に良い状態で保存されています。

車内に掲出されている案内 

 東武鉄道熊谷線(熊谷〜妻沼間10.1km)は、通称“妻沼線”とも云われ、昭和18年12月5日からB-2型蒸気機関車が客車2両を牽引して営業が開始(1日7往復)になり、熊谷駅までの所要時間が24分かかったことから、「かめ号」と呼ばれ親しまれました。
 その後、昭和29年に2月10日に、最新型のディーゼル車キハ2000型気動車に替り、1日14往復した。
 以来、昭和58年5月31日限りで廃線になるまでこの気動車が運行され、時速65キロ、熊谷駅までの所要時間が17分になり、「特急かめ号」と愛称されながら大勢の足となりうる使命を全うし、惜しまれた車両である。

未成線区間

 妻沼駅から利根川を超えた群馬県の西小泉駅までは未成線区間です。

 妻沼駅から先も工事は進んでおり利根川の土手まで築堤等の工事も完了してました。

土手の上から妻沼方向を見る

 利根川の土手に続いていた築堤は壊され道路となっています。

 利根川には橋脚だけ建設されたところで中断し、その後もしばらくは河川敷に放置されていたそうですが今はその痕跡すらありません。

埼玉県側から群馬県側を見る

群馬県側から

仙石河岸貨物駅

 対岸の群馬県側に来てみると一つだけポツンと橋脚が残されています。この周辺はかつて仙石河岸貨物駅があり利根川の砂利採取の基地として栄えました。熊谷線延長の際はその路盤を使う予定でした。未成の区間は利根川を挟んだ約2km弱の区間だったのです。

 仙石貨物駅から先はいずみ総合公園として整備されています。

新小泉駅(貨物駅)

 西小泉まで約1kmの所に新小泉駅はありました。貨物営業のみです。付近には東武系列の運送会社があるので当時はその為の駅だったのでしょう。

この区間も東武の敷地区域標が残されています。

 新小泉駅から先はいずみ緑道として整備されています。

 この区間は熊谷線の延長を望んで地元が緑道として残したとの話もあります。緑道をそのまま進むと、その先に西小泉駅が見えてきます。

奥には西小泉駅が見える

西小泉駅

 東武小泉線の終着駅である西小泉駅。熊谷線はこの駅で小泉線に接続する予定でした。現在は1面2線ですが、以前は2面3線あったようです。

 今は使われなくなった対面式のホームが1本残されています。

 駅舎も異様に大きく、熊谷線の開通を見込んで建てたのでしょうか?

 もし、熊谷線が開通していたら人々の流れが熊谷側に向いたのでしょう。仮に開通していれば西小泉から熊谷まで30分を切るのでは無いかと思われます。

終わりに

 沿線は廃止当時に比べてベットタウン化が進んだこともあり現在ならそれなりの需要が見込まれたのではないかと思いました。

 熊谷線は群馬県南部と埼玉県北部地域を結ぶ路線として現在復活の話もあります。廃線跡の土地も未だに東武鉄道が所有し続けているのは何故?疑問に感じました。

戻る