廃線調査隊 戸井線
未成線
五稜郭〜戸井間 29.2km(内2.8km未着工)
戸井線の歴史
戸井線は函館本線の五稜郭から分岐して湯の川を経由して戸井町まで至る路線として建設された。戸井線は軍部の手によって計画され、極秘に進められていた。当時の本州と北海道を結ぶ航路は函館〜青森までであった。約100Hの距離は他国からの攻撃目標にもなりかねないと軍部は警戒した。少しでも航路距離を短くするため、本州と北海道の距離が一番短い北海道側の戸井町と青森側の大間の間に青函航路の代替行路を計画した。その連絡路線として戸井線が建設された。もともと、戸井町には津軽海峡を防備する戸井要塞が計画され極秘に進められており、軍需資材や物資、兵員輸送もその建設の理由の一つであった。青森側にも大間まで鉄道が建設されていたが大畑まで開通したのみでその先は未成線として開通しなかった。
昭和12年(1937)に軍の至上命令によって建設が開始された。竣工予定は昭和19年(1944)であったが、戦局悪化で資材不足に陥り、昭和18年(1943)に工事は中断された。この時、未着工区間は残すところわずか2.8Hの距離であった。工事はそのまま再開されることなく中止となった。
途中には9駅が予定されていた。
戸井線建設中止後の状況
戸井線は戦争終了後、建設再開されることはなかった。もともと、軍事目的に建設されていたので仕方がないことであろう。中止後、しばらくはそのまま放置されたが、昭和46年(1971)に全線一括して函館市に払い下げられ、戸井町の区間は戸井町に無償譲渡された。
路線敷きはその後、函館市の区間は道路やサイクリングロードに転用されているが一部区間はそのまま残されている。橋梁類は全て撤去されているが、戸井町の区間にはトンネルやアーチ橋などが残されている。一部のアーチ橋は生活道路として利用されている。戦中に建設されたアーチ橋のほとんどが鉄不足の為、木筋・竹筋コンクリート製だと言われており、耐久性に問題がある。その上、老朽化も進んでおり崩壊の危険が隣り合わせなのも気がかりである。