廃線調査隊 戸井線

調査日00/04/24

戸井線廃線調査 1

五稜郭〜湯の川付近

函館本線五稜郭駅
 戸井線が開通していれば、ここが起点となった。戸井線は五稜郭駅を出ると札幌方に向かって進む予定であった。仮に開通していたとしても札幌方面からの列車はスイッチバックが必要であった。函館中心の運転を想定していたのだろう。

函館本線との分岐点
 五稜郭から250mほど札幌方に進むと分岐点の予定地がある。JRの敷地内には戸井線の築堤の残骸が残っている。
 写真の手前が公園でその先に函館本線、その奥のの築堤が戸井線の築堤跡です。函館本線の線路改良工事で半分が取り壊されています。
 この先、築堤は全て取り壊され道路や住宅に転用されていました。

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初の構造物発見!
 分岐点から緩やかなカーブを描いた道が伸びています。ただし多少のズレがあるので区画整理された部分もあるかもしれません。その先を進むと不自然に3m程の間のみ道幅が広がっていた。脇を見ると下に川があるのでもしやと思い外から橋を見ると、明らかに鉄道用の橋梁の残骸であった。初めての構造物発見であった。橋梁部分が広がっていたのは、築堤の下をくぐる、川のトンネル部分のみが残されて、築堤が撤去されてからだと思われる。見逃すとこれであった。

 分岐点からはこのような道路が国道5号線の交差点まで続いている。この付近は築堤があったものと思われる。いつ頃、壊されたのであろうか?

5号線側から湯ノ川方面を望む。ここから築堤が残る

本格的な廃線跡
 国道5号線を越えると広い空き地が広がった。まさに戸井線の廃線跡である。その先には築堤が続いている。廃線跡は地元住民の生活道路として利用されているらしい。廃線跡は住宅の中を真っ直ぐ進んでいた。大きな道路とは直接は進入できないように柵があるが脇の小道からは簡単に入れる。舗装や砂利がひいてあるわけではないので雨が降ると水たまりが出来てしまいます。駐車場化しているところもあった。地図には道路として表示れている。

築堤上から五稜郭方面を望む。
住宅街を真っ直ぐ抜けている。

 廃線跡は道道347号にぶつかる手前で終わっていた。ここから先は一般道化されていた。その末端部分に橋台が残されていた。どうやらここで道道をオーバークロスしていたらしい。道道は写真手前の一段上がったところに移設され、ここから先の廃線跡に出来た道路と合流していた。写真の道路は旧道になる。

 これは、上の写真の橋台のアップの写真です。
 風化してボロボロになっていました。鉄筋も入っていません。当時は戦争で鉄不足だったため、竹や木が筋に使われたそうです。反対側の橋台はほとんど風化して土手に埋まってました。

 道道347号線を越えると、廃線跡は市道・本通富岡線、約10メートルの歩道付きの道路となり、廃線の面影は一切なくなる。約2Hぐらい続く。

写真は湯の川方向を望む。

 本通3丁目の交差点で市道は終わり、ここから先は緑園道としてサイクリング&散歩道として整備されている。鉄橋やトンネルもあるが、当時の構造物は残っておらず、作り替えられている。

 サイクリングロードが続く。

 サイクリングロードの途中で唯一の遺構を発見した。戸井線をオーバークロスする跨線橋である。今でもサイクリングロードを跨ぐ形で残されている。
写真で見るとあまり勾配が無いように見えますが、この手前から湯の川地区まで一気に大地を下っているのです。

写真は湯ノ川方向へ望む

 跨線橋の上からの写真です。
 車が1台通過できる幅です。脇に歩道橋が増設されていました。

 湯ノ川地区でサイクリングロードは終わり、廃線跡は一旦消えてしまいまいした。松倉川付近も一切何も残っておりません。
 松倉川を越えたところで廃線跡は再び現れた。この先、しばらく道路となっていた。

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