おがえもん廃線研究所

調査時期 平成14年12月 

関東 埼玉・群馬
東武熊谷線
TOBU Kumagaya Line
廃止年月日 昭和58年5月31日(熊谷〜妻沼間)
熊谷〜妻沼間 10.1km
妻沼〜仙石河岸間 未成区間
仙石河岸〜西小泉間(貨物営業区間)廃止

東武熊谷線とは

  東武熊谷線とは国鉄熊谷駅を起点とし熊谷市北部の妻沼町までの10.1kmを結ぶ路線として運行されていました。地元では通称妻沼線と言われていました。

 熊谷線の建設目的は群馬県太田市と小泉地区にある中島飛行機への人員輸送と資材輸送を目的として建設されました。軍からの建設要請もあって突貫工事で建設され着工から約1年経った昭和18年(1943)12月5日に熊谷〜妻沼間が完成しました。その後、妻沼から先の区間も着工しましたが終戦をむかえました。その後、利根川を渡る部分の橋脚だけが完成したところで工事は中断し、結局開通することはありませんでした。

 軍事輸送用として建設された熊谷線はモーターリゼーションの影響により旅客の減少を受け昭和58年(1983)5月31日をもって廃止されました。

 妻沼と利根川を挟んだ西小泉側は川岸まで砂利採取用の仙石河岸貨物線が開業しており、川を挟んだ約2km弱の区間の建設を残すのみとなっていました。その貨物線も熊谷線より一足先の昭和51年(1976)に廃止になりました。

 現在は西小泉駅までは旅客営業を行っています。西小泉駅が中途半端な位置で終点になっているのはこういうことの結果なのです。

廃止後の状況

 廃線跡は今でも東武鉄道が所有しています。敷地を熊谷市等に貸し付けて道路や遊歩道として活用しています。詳しくは写真のページをご覧ください。

何故利根川に橋を掛けなかったのか?

 終戦後、東武鉄道は何度も建設再開を試みましたが、資金不足の為建設することが出来ずにいました。そんな中、熊谷線を開通させると国鉄に旅客を奪われるとの意見も出始めました。群馬県太田地区の住民は鉄道で東京に行くのに東武伊勢崎線を使うか、両毛線で高崎経由でないと行けないのです。熊谷線が開通すると熊谷で高崎線に乗り換える方が伊勢崎線よりも便利になってしまうという事実が明らかになりました。自社の不利益になると考えられたので開通をさせなかったとの見解もあります。

東武熊谷線復活か?

 運輸政策審議会の計画案で群馬県の太田市から熊谷を経て埼玉県の東松山まで結ぶ話が出ています。その際に東武熊谷線の廃線跡の活用も考えられています。実は廃線跡は全線にわたり今でも東武鉄道が所有しているのです。道路化された部分も貸し出されているだけのようです。このことについて2002年10月頃の埼玉新聞に載っていました。掲載された新聞をお持ちの方はご連絡ください。

 

 

 

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