廃線調査隊 のと鉄道七尾線
平成13年4月1日廃止
穴水〜輪島間 20.4km
七尾線の歴史
明治31年4月24日 津幡(現・本津幡)〜七尾間が七尾鉄道として開通
明治33年 現在の津幡まで延伸し北陸本線と接続
明治40年9月1日 国有化
大正14年12月15日 七尾〜和倉(現・和倉温泉)間が開通
昭和3年10月31日 和倉〜能登中島間が開通
昭和7年8月27日 能登中島〜穴水間が開通
昭和10年7月30日 穴水〜輪島までの全線が開通
昭和34年6月15日 穴水から分岐する国鉄能登線が開通
昭和61年 国鉄能登線の第三次特定地方交通線指定され廃止が決定。石川県により第三セクター化決定。
昭和62年4月1日 JR西日本発足に伴い、国鉄七尾線・能登線がJRへ経営移管される
昭和63年3月25日 第三セクターのと鉄道発足に伴い、JR能登線がのと鉄道へ経営移管される
平成元年8月24日 七尾線の七尾以北の区間をのと鉄道が経営を引き継ぐことを正式決定
平成2年1月31日 のと鉄道に七尾〜輪島までの区間に第2種免許を交付
平成3年9月1日 JR七尾線の七尾〜輪島間がのと鉄道に経営移管。
JR七尾線の津幡〜和倉温泉間が電化開業。
平成12年2月28日 のと鉄道・穴水〜輪島間の廃止し、バス代替による輸送に決定
平成13年3月31日 のと鉄道・穴水〜輪島間運転終了
平成13年4月1日 のと鉄道・穴水〜輪島間(第二種鉄道事業)廃止。同時にJR西日本穴水〜輪島間(第三種鉄道事業)廃止。
七尾線は国鉄再建法下の特定地方交通線の対照には当てはまらず廃止させることはありませんでした。しかし今回廃止になってしまいました。のと鉄道に移管された能登線とは対照的な結末迎えました。元々JR西日本へ引き継いだ路線であり廃止の予定もありませんでした。JR西日本は比較的旅客の多い和倉温泉までを電化開業しお荷物区間の和倉温泉以北の区間をのと鉄道に営業をゆだねました。のと鉄道にとっても穴水〜蛸島までの区間だけの営業よりも、七尾までの一貫経営の方が経営しやすいと言うことで七尾線の営業を受けたのでしょう。穴水〜輪島間には途中2駅しかなく住んでいる人も極端に少ない状況です。終点の輪島は朝市や輪島塗の産地として有名で比較的人口がありますが、列車を利用する人は少なかったようです。のと鉄道にとっては穴水〜七尾間の経営が出来ることに魅力が会ったのと、もしかすると穴水〜輪島間の廃止は受け継ぐ際に水面下で話されていたのかもしれません。JR西日本にとっても七尾線として末端区間だけ廃止すると世間の評判が悪くなるので一旦のと鉄道に経営を移管し廃止する方法をとったのかもしれません。なんか虫の良い話だと思いませんか?あくまでも私の予想ですが。
話はずれますが国鉄改革法の下、特定地方交通線の指定によって廃止された線区が多数あります。当時の算定基準は路線全体での輸送人員が基準以下だと廃止され、基準以上だとJRへ引き継がれ現在に至っております。特例として平行道路の未整備で冬期間のバス代替輸送が困難線区は廃止対照から除外されました。深名線や岩泉線などがあります。深名線は道路整備にともなって平成7年に廃止されました。青函トンネルの北海道側を結ぶ江差線とは五稜郭から木古内を経由して江差を結ぶ路線です。これとは別に木古内から松前まで松前線という路線がありました。江差線は五稜郭起点だったため五稜郭〜木古内間の旅客人員が多かったため江差までの全線が廃止されませんでした。ところが松前線は木古内起点だったため木古内〜松前間の旅客人員が基準以下だったため廃止となりました。江差線の五稜郭〜木古内間の旅客人員は松前線の旅客もカウントしているのです。そしてもっと重要なことは木古内から先の末端区間は江差線よりも松前線の方が多かったのです。もし、松前線が五稜郭起点で松前までだったら江差線が廃止になっていたでしょう。
当時の国鉄の廃止の基準はこんな矛盾を多く抱え廃止を強行したのです。路線単位ではなくもっと実状にあった廃止が必要だったのではないですかね?そんな余裕が当時は無かったのかもしれません。
そんな矛盾が今回の七尾線の末端部分の廃止だったのかもしれません。JR西日本では可部線の末端区間の廃止を考えているそうです。どうなるのか今後の動向が気になります。
七尾線の廃止は平成13年4月1日付けで廃止されました。私が訪れたのが約1ヶ月後の5月初旬でしたが、既に踏切の遮断棒は外され、アスファルトで埋められていました。早いですね。駅の施設はそのまま残っていましたが、廃止された事を示す掲示がまったくありませんでした。間違えて駅で待つ人がいるかも・・・。時刻表や駅名標は一部撤去されていましたが・・・。
廃止したてホヤホヤののと鉄道七尾線の調査記録をまとめました。