廃線調査隊 狩勝線

根室本線・狩勝線廃線調査 3

新内駅から新得駅へ

 新内駅を後にし、新得駅へ向かった。ここから先も廃線跡はきれいに残っていた。しかし、車両進入禁止の看板が。どうやら、新得側廃線跡は遊歩道にでもする予定があるらしい。
 私たちはその廃線跡を進んだ。すぐ先に128キロポストが残されていた。その先は築堤と切り通しの連続で新得駅を目指した。

急行「マリモ号」事件現場 

 更に先に進めると、急行「マリモ号」事件を記す掲示板を発見した。(事件の概要は前記に記載しましたので省略)
 当時は、鉄道がらみの事件が数多く発生しそのほとんどが未解決のまま時効となっている。

実験線時代の照明灯発見
 狩勝線の山岳区間を抜けると、大きく広がる十勝平野が待っていた。ここから新得駅までは佐幌川に沿って約6キロの直線区間が続く。ここは狩勝線が廃線後、国鉄の実験線として昭和54年まで利用されていた。
 その当時利用していたと思われる照明灯が現在も残っている。この付近は大きく開けており実験線のヤードや施設があったものと思われる。この実験線が現在の鉄道建設に貴重なデーターを提供したことは言うまでもない。
照明灯の場所は国道38号線沿いにある、ローソンの裏付近に残っている。

 直線区間もそろそろ終わり間近、西から新線が近づいてきた。廃線跡も国道に近づき、佐幌川の支流にかかる道路を渡ると廃線の鉄橋を発見した。
 その先には廃線跡に沿うように、SLが保存してあった。 このSLは、DD51型でD5195号機で、主に根室本線・函館本線・室蘭本線・歌志内線で活躍したそうである。現在は、国道と廃線跡の間に保存展示してある。このSLは新線の車窓からも眺める事ができる。この先で旧線と新線は合流していた。昭和54年までは旧線は実験線として利用されていたため線路が敷設されていたそうである。

新得駅

 左の写真は、新得駅の札幌側です。旧線はここから、右手に進んでいた。その名残か、広く空き地が広がっている。現在、新得駅は決して大きな駅ではないが、当時は峠越えの補機機関車が待機し、鉄道の要所として多くの鉄道マンが働いていた。 旧線の時代には、ここから根室本線を経由して札幌を目指したが、昭和56年年に石勝線(新得〜新夕張間)が開通してからは根室本線・新得〜滝川間は事実上本線の座を失った。新得から新狩勝隧道内新落合信号所までは根室本線と石勝線との二重戸籍区間である。新狩勝隧道内にポイントがある。新得側出口は1つであるが、反対側は出口が2つある。

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