(落合〜新得間)27.9km
歴史
狩勝線は、連続する25‰の急勾配と2つのトンネルがあり、D51の補機を従えた長大な列車が峠に挑む雄大なドラマが展開し、当時の鉄道ファンの心を魅了するのと同時に、日本3大車窓に数えられ、乗客も車窓を楽しんでいた。しかし、鉄道にとっては、急勾配や連続するカーブというのは、やっかいなものであり、当時の鉄道マンの大変さが目に浮かぶものである。当時はまだSLが主力でありトンネルでの煙害も深刻だったそうで、トンネルには煙除けの垂れ幕で煙を防御したそうです。余談ですが、乗客もSLの汽笛を聞き、トンネルに入る前に列車の窓を閉めないと煙で顔が真っ黒になったそうです。
この区間は、開通当時は十勝線と呼ばれ後に釧路本線、根室本線と名前を変えながらも、道央と道東を結ぶ幹線としての地位を歩んだのである。しかし、冬期間隧道内の漏水は凍結するなど内壁の老朽化も激しく、しかも、千分の25という急勾配が連続する同線は、経済の発展とともに、旅客・貨物輸送の効率化のため、昭和41年10月1日開通の新狩勝線にその役目を譲ることになり、60年の歴史を閉じたのである。
急行「マリモ号」事件の発生。現場にあった掲示版を書き記します。
ここに新得町史に残る大事件のてん末を記すものである。
昭和60年11月 新得町 新得郷土研究会調査
★事故現場あたりに2箇所、マリモ号事件関係の看板があります。