おがえもん廃線研究所
調査時期 平成15年7月
関西 兵庫・加古川
別府鉄道
野口線・土山線
Befu Railway Noguch Line・Tutiyama Line
廃止年月日 昭和59年1月31日(熊谷〜妻沼間)
別府港〜土山間 4.1km
別府港〜野口間 3.7km
別府鉄道とは
兵庫県播磨平野にあった貨物輸送中心の鉄道でした。別府とかいて「べふ」と呼びます。当初は別府軽便鉄道ととして開業し、路線は国鉄高砂線(廃止)の野口駅から別府港までの野口線と山陽本線の土山駅から別府港まで結ぶ土山線の2線で構成されていました。建設の目的は、別府港にある多木製肥所工場で作られる人造肥料を運ぶ目的で建設されました。鉄道が出来るまでは船輸送か、官鉄の加古川駅まで荷車輸送にゆだねられました。船輸送は第一次世界大戦の影響で船が不足し、思うように進まず、荷車輸送は鉄道との荷物の載せ替えが発生するため積み荷が傷み輸送費が高騰する原因があったため、鉄道建設が望まれました。 まず野口線の着工が始まり1921(大正10)年8月30日に完成し、9月3日から営業開始しました。突貫工事のため、車両や乗務員、鉄道係員等すべての準備が整わず、播州鉄道(のちに播丹鉄道→国鉄高砂線)にすべてを委託していたというエピソードもあります。こんな事からも、貨物輸送を早く鉄道輸送に切り替えたかったのでしょう。旅客輸送も開業から始められ、すべての列車が加古川まで乗り入れたそうです。
別府港から土山までの土山線は1923(大正12)年3月18日に開通しました。土山線の開業により、野口線の運行を播州鉄道に委託していたのを自社運行に切り替え、乗務員や駅係員の養成や車両の準備も行い、鉄道事業に精通した経験者を迎え入れて自社運行に切り替えたそうです。全線開業に伴い、多木製肥所の輸送部門となりました。
土山線の開業により貨物輸送は官鉄に直接接続している土山線に移行し、野口線は旅客輸送中心、土山線は貨物輸送中心の輸送になりました。
野口線は戦時中、遊休施設撤去令により線路を撤去されました。別府軽便鉄道は社名に軽便と名前がついているから撤去命令を受けたのだとして1946(昭和21)年4月に別府鉄道に社名変更した経緯があります。
貨物輸送のピークは1961(昭和36)年頃で年間30万トンを輸送し、大阪鉄道管理局内で上位4位だったそうで長さ4km程度の私鉄が扱う量としては驚異的な数字だったそうです。
その後、他の鉄道と同じくトラック輸送にその座を奪われ、国鉄の貨物合理化計画により1984(昭和59年)1月31日に限りで廃止になりました。
別府鉄道自体は現在も存在しており、旧別府港駅構内に本社を置き、タクシーなどの旅客輸送事業を行っているようです。
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