おがえもん廃線研究所 |
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天竜二俣駅 第三セクター天竜浜名湖鉄道の駅です。国鉄二俣線として開通し、東海道線の迂回ルートとして建設され、戦時下、東海道線の橋梁が破壊されても東西の交通を確保出来るようにするのが建設の目的でした。 その後、国鉄再建法の下、特定地方交通線に指定され、昭和63年3月に第三セクターとして再出発しました。 当駅は、以前は遠江二俣と名乗っていました。 佐久間線はこの駅を起点とし、天竜川沿いに中部天竜駅を目指しました。 現在の二俣駅は2面3線と留置線を備えた構内です。元々は3面5線あったようで、佐久間線の開通を意識したホームの構成となっているようです。今となっては意味が無くなっています。 佐久間線は当駅を出ると掛川方面に一旦は進み天竜川沿いに進む予定でした。駅東側の路盤跡は払い下げられ民家や道路に替わっています。 建設当時はこの辺(写真左)は草むらだったようです。 |
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トンネル発見! 駅から500mぐらい進んだところにトンネルの入口を発見。民家の裏の竹林に埋もれており見つかりにくい。駅からここまでの間は一切面影がないので見つけるのに一苦労しました。 竹が茂っているので写真もわかりにくいと思います。 |
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続々発見 最初のトンネルの反対側出口だと思われます。竣工は1974年3月、完成から26年の歳月が過ぎています。 佐久間線の廃線跡のトンネルの全てが厳重に封鎖されています。コンクリートで封鎖するのではなく金網や鉄格子で塞いであるのはなぜでしょうか? |
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トンネルには危険の看板が落ちかかっていました。日本国有鉄道鉄清算事業団の文字が・・・。現在はどこの管理になっているのですかね。やはり、日本鉄道建設公団ですかね? その先で橋梁も発見しました。ほとんど手付かずの状態で残されています。 橋梁の先にはまたトンネルがあります。このトンネルは山王隧道、545m竣工1969年3月と記されています。 |
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山王隧道を抜けると、あたりは一気に開けます。路盤跡は築堤として残っています。しかし、道路との交差部分は既に撤去されています。 |
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この辺(写真右)に山東駅が出来る予定でした。路盤の状況からして、片面ホームだけの停留所の予定だったのではないでしょうか。 山東駅予定地を出ると二俣川を渡る橋脚があります。橋梁は残されていませんでした。撤去されたのか、それとも元々無かったのかは不明です。 |
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