おがえもん廃線研究所

国鉄中津川線
現地調査 Part1
飯田駅〜伊那山本駅

飯田線飯田駅

 佐久間線は中津川駅を起点に、ここ飯田駅を終点とする路線として計画されました。

 私たちは終点の飯田駅から中津川駅を目指し調査を開始しました。飯田駅利用者はあまり多くないらしく、高速バスを利用する人が多く見られました。中津川線が開通していれば、飯田の鉄道の状況は変わっていたでしょう。

 中津川線は飯田駅を出ると豊橋方面に進み切石駅付近で飯田線と別れて進む予定でした。右の写真の付近から分岐する予定だったようですがはっきり分かりませんでした。

 飯田線の分岐点からしばらくは路盤跡は見つけることは出来ませんでした。勾配がきついので相当大回りしていたのではないかと思われます。民家が数多く建てられているので、転用が進んでいるものと思われます。そんななか住宅街の公園付近に不自然な歩道を発見しました。車道の脇に歩道?どうみてもこんな道に歩道は必要ありませんので、中津川線の路盤跡だと思われます。この道の延長線上の先に路盤跡が発見出来たので間違いないと思います。

 この先不自然に断続的に空き地が続きます。

ハッキリと残る路盤

 住宅街を抜けると突如路盤跡ははっきりと姿を表します。中央高速の飯田I.C.の南側約2kmの地点です。  廃線跡は一部公園になっていますがその先にある二ツ山トンネルまで進むことができます。この辺に飯田を出て初めての駅「伊那中村駅」が予定されていました。函きょも中村の文字が記されています。


「中村函きょ」の後に「子」の落書きが。
くだらないけど笑えた。

 伊那中村駅予定地は築堤の上に予定されていたようで、駅予定地の付近のみ築堤が広がっています。

 その先には二ツ山トンネルがぱっくり口を開けています。中津川線唯一の完成したトンネルです。延長1564m。

昭和42年11月21日着工、昭和44年6月12日竣工、改正から31年の月日が過ぎています。

 二ツ山トンネルの反対側は竹薮の中に埋もれていますが、路盤が続いているので簡単にたどることが出来ます。トンネルを抜けると築堤で進みその先の川と橋梁で越えているのですが、一部撤去されています。その先の路盤は付近の学校の通学路として廃止後転用されたため階段や柵の杭が設置されており路盤跡を歩く事ができます。


雪の中にポツンと残る敷地区域標

切り通し区間

 路盤跡をさらに進むと小高い丘を切り開いた切り通し区間に入ります。約300mほど続きます。いくつかの跨線橋がありその下を歩くことが出来ます。中津川線は電化開業の予定ですので電柱が設置できるように切り通し区間の壁には電柱が設置出来る準備がされていました。

 
切り通し区間には電柱を設置するスペースが確保されている。
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